
私は今治の波止浜で生まれ育ちました。
波止浜の湾に面した海岸通です。
うちはパチンコ屋でその2階に住んでいましたか
ら窓の向こうはずらっと造船所が並んでいてその
向こうに糸山。
手前は白い布の屋根を張った小さな伝馬船が並び、
その先に来島、小島、馬島に行くポンポン船の船
着場。
船の油のにおいと潮の香り、伝馬船のエンジンの
音と造船所の鉄をたたく槌の音。
狭い海岸道を行き交う瀬戸内バス。
威勢のいい男たちの声や手押し車をひいて魚を売
りにくるおばさんの「魚いらんかえ~」の声。
糸山と空の間でクルッと回る黄緑色に塗られた大
きなクレーン。
キュッキュッと鳴るつっかけを履いてカタカタ車
を押す小さな子。
冬の早朝の海から立ち昇る白い湯気。
ポンポン船に乗って海水浴に行く人たちの楽しげな声。
そして2 階にいる私の耳に聞こえる下の店で鳴り続くパチンコ玉の音、軍艦マーチ、ドーナツ盤から一日中鳴り響く
演歌の歌声。夜の9 時には蛍の光で閉店。静寂。静かな海。今でもありありと思い出される私の原風景です。
大人になって私は絵を描くようになりましたが、人間でも動物でも車でも船でも飛行機でも、なんでも私が描くもの
は向かって左に進んで行き、横顔であっても左を向いているのです。右に進んだり向いたりするととても違和感を感
じて、なぜか落ち着かないのです。
ある時ふと気づきました。
パチンコ屋の2 階から飽きもせず見ていた造船所。毎日少しずつ船が出来ていき、完成を迎えると進水式。
くす玉が割れ、色とりどりの紙テープをはためかせながら大きな鉄の船は湾から外の海に出て行く。
それは必ず私から見て左に出ていくのでした。右は水門ですからね。
子供の頃の本当に古い記憶。まだ何もたまっていない記憶の貯金箱。そこに入っていた晴々とした感動の記憶。
それが長い時間自分の感覚の根本を支配していたのか、と驚嘆しました。
私にとって進んでいくものはみんな左に向かって行き、
そこにはここではないどこかへ行くものへの憧れがあったのでした。