来島保存会

投稿日:2021年3月23日 更新日:

村瀬牧男来島保存会

来島保存顕彰会事務局長村瀬牧男

現在の来島の形を作られた方。保存会発足当時の来島は荒れ放題であり「当時の活動は保存顕彰活動でなく、清掃活動です」と楽しくお話しいただきました。
現在は休会していますが、20年あまりの活動は色濃いものであり、村瀬さんの言葉は後世に引き継ぐべき大いなる遺産です。

 来島は周囲850メートルの小さな島ですが、島全体が本丸、二の丸、三の丸、出丸で構成された水軍の代表的な海城です。浜辺の岩礁
は無数のピット(柱穴)跡が残っています。島には神社仏閣の類が7つもありますが、お墓はありません。来島の大将達は平時は波方に住み戦になると来島に立て籠もり不落の砦となっていました。

 平成11年に来島保存顕彰会は発足し、20年活動し現在は休会しています。発足当時は顕彰事業というより、整備事業が主でした。今のように本丸の所まで上がる道は整備されていなく荒れ放題の状態でした。行政に何度もお願いには言ったが、なかなか前に進まず、自分たちで整備し今の形になりました。来島を来島大橋からみると本丸、二の丸の形はわかると思います。やはり私たち今治の人間には来島水軍のDNAが流れている。海と共に生きてきた末裔として保存顕彰会は多くの方がエールを送ってくれました。

 また、慶長の役(1957年)で日本の水軍を率いて戦い、戦士した来島水軍の五代目、来島通総(みちふさ)の輩下の兵士たちの遺体を珍島の地に葬ってくれ、そのお墓をずっと守ってくれていた韓国の方との文化交流は保存会の大きな財産です。いろいろな国の考えはありますが、この交流というのも後世の方に引き継いでもらいたいものです。